アカナナがいちゃいちゃしてるだけ:にぴ


 暁がひとりでの依頼を終え宿に戻ると、非常灯以外はすっかり電気が消えていた。思いのほか遅くなってしまったことを実感し、嘆息する。明日の予定はどうだっただろうか。依頼は受けていなかったはずだ。ほかの野暮用や誰かとの約束もなかったはず、と思いながら、なるべく静かに階段を上がる。ほとんどはもう寝ているのか、暗闇に相応しい沈黙が廊下におりていた。
 明日、仄羽は甘いものを食べに行くと言っていた気がする。仄羽が出かけるのであれば、威も一緒に行くに違いない。そういえばシンクが新しいスキルをほしがっていたが、瑞矢にでも頼む算段だろうか。瑞矢相手では、どんなにかわいくねだったところで買ってはくれないと思うが。
 部屋の前まで来て、暁は小さく頭を横に振る。思考がとっちらかっている。めずらしく疲労が蓄積しているようだ。
 七嶺は、と思う。七嶺は、明日予定がない。暁は少なからず安堵する。こうして暁がひとりで依頼を受けてくるときには先に寝ていてと何度伝えても、七嶺は暁が帰ってくるまで起きている。もし翌日予定があっても、必ず。だから暁はいつもはやく帰るように心がけている。彼女にとって優先度が高いのは仕事よりも暁なのだ。口にはしないし、言葉にすれば認めないにしても、明らかに。
 とはいえ、今日は遅くなりすぎた。さすがに寝ているだろう。
 ゆっくりとドアを開けると、部屋は明るかった。しかし物音はない。シンクの部屋にでも行ったのか、研究部屋と化しつつある自身の部屋にこもっているのか。どちらにせよ、だとしたら電気は消えているはずだし、何より暁の勘が七嶺はここにいると告げている。
 後ろ手に鍵を閉めて奥に進むと、七嶺はいた。窓辺に置いているソファに座って、すやすやと寝息を立てている。
(尻尾抱きしめてる……)
 ふ、と暁は小さく笑う。待っている間にすることをしてしまって、尻尾の先を整えている間に眠気が増してきて、本人も気づかないうちにねむってしまった、というところか。普段ふたりで寝ているから、何か抱きしめると落ちついてねむれるのだろうけれど、それにしたって自身の尻尾とは。
 隣に腰かけ、めくれている布地を気持ち整えてやる。これだけ無防備な姿をさらして、もし不埒な輩にでも襲われたらどうするつもりなのか。一応ドアは解錠のスキルでは開かないはずだが、魔法の鍵あたり、開かない可能性はゼロではない。七嶺は自身の美貌や色気に自覚的であるのに、どうもそのあたりが無頓着だ。恋人になる前はもう少ししっかりしていた気がする。幼くなっているというか、情緒不安定の傾向があるというか。それとも、必死につよがっていた部分を緩めてくれたのだろうか。だとしたらうれしい。暁は七嶺の前髪を耳にかけながら、知らず微笑んだ。
 ベッドに運んでやりたい。暁は自身を見下ろす。大きく汚れてはいないものの、やはり汗は否めない。せめて手くらいは洗ってこようと腰をあげかけたとき、
「……暁さま?」
 まだ半分夢のなかにあるような声で呼ばれ、暁は立ちあがるタイミングを逃した。寝言かとも思ったが、どうやら違うらしい。
「はい」
 頷けば、七嶺は眠気眼をこすりながら腕に絡みついてきた。汚れているから、と制しても聞いてはくれない。周りにひとがいなければ、七嶺はこんなにも素直だ。
 頬が当たる。胸が当たる。指を絡めてきたかと思えば手袋を外され、瞼を重そうにしながらも現れた薬指の指輪を見て七嶺が微笑んだ。
「七嶺」
 もぞもぞと寝やすい位置を探しはじめた七嶺を、今度こそ制する。
「七嶺、俺、まだ汗かいたままだから」
「うん。暁さまのにおい」
 暁の腕や手をすきにして甘えてくる七嶺に、暁は抵抗しきれずされるがままになる。七嶺の尻尾がゆらゆらと揺れた。噛みつかれると噛みつき返してしまうが、こうまっすぐに感情を向けられると、暁も七嶺には甘くなる。
 しかし風呂を明日に回すのはいいとしても、ソファで寝るのはよろしくない。七嶺をベッドに運び、暁自身も隣に横になる。コートを脱ぐからと言っても離してくれないので、手袋とマフラー、髪紐だけをなんとか外した。
 ベッドの上でも、七嶺の尻尾はゆらゆらと揺れている。まだ薄く意識があるようだ。耳をこするようにしてなぜると、くすぐったいのか避けるように顔を動かし、暁に体を寄せた。暁も七嶺の額に口づけたあと、七嶺を抱き寄せる。
 ひとりの仕事から帰ってくると、いつもなら依頼人はどんな人だったのかだとか、仕事内容はどうだったのかだとか、どういう話をしたのだとか、どんな別れ方をしたのかだとか、こと細かく七嶺に尋ねられる。質問されるたび、暁はひとつずつ答える。暁もそれなりに嫉妬深いほうだという自覚があるが、七嶺は少々異常なほどだ。今日も依頼人は女性だったと聞けばそれだけでどんな反応をするかわかったものではない。疲れているときは暁にも余裕がなく、きつい言葉を投げる可能性がある。特に七嶺には甘えてしまうから、なおさら。同じように聞かれるにしても、明日聞かれるほうがまともに対応できる。そういう意味では、七嶺が寝ていてくれて助かった。できればベッドで寝ていてほしかったけれど。
 ゆらゆらとリズムを刻むようにいつまでも揺れている七嶺の尻尾の先を見ていると、悪戯心が芽生えてきた。尻尾の付け根をとんとんとたたく。案の定、意識が薄いなかでも七嶺は反応し、暁の背中に回された腕に力が入った。
(かわいい)
 七嶺の首根に顔をうずめる。普段は暁の背が高すぎて、寝転がっているときくらいしかすることのできない体勢だ。肌のどこを触ってもすべすべとして気持ちよく、髪は手入れされてうつくしく、化粧をしていてもいなくとも艶のある表情に、暁は優越感でたまらなくなる。無論七嶺が七嶺自身のために手入れをしている部分が大きいとしても、少なからず自分のためにもしてくれているのだ、という事実が、暁を刺激する。
 起きてほしいような、このまま休んでほしいような、両方の気持ちがないまぜになって、暁は七嶺をさらに引き寄せた。疲れが徐々に溶けていくのがわかる。
 明日は、七嶺とふたり、部屋にこもるのもいいかもしれない。
 だんだん動きの鈍くなっていく七嶺の尻尾を見ながら暁は思い、やがて瞼を落とした。