威ほのがいちゃいちゃしてるだけ:にぴ


 夜明けの獣亭。それがわたしたちの常宿の名前だ。冒険者をやることになるだなんていままで考えもしなかったけれど、けっこう、たのしい。こなせる依頼が増えてきているのを実感している。それにしたって、なんだかゴブリンの洞窟に行く機会が多いような気がするけれど、まあ、そういうものなのだと思う。
 わたしたちのパーティは六人だ。威さま、暁さん、瑞矢さん、七嶺さん、シンクちゃん、そしてわたし。冒険者になってからパーティを組んだのではなく、もともと一緒だったのがみんなそろって冒険者になった。きっかけは、ある日、威さまが突然吸血鬼になったことだ。
 吸血鬼は不死といわれる。威さまはその日を境にあっさりとご自身の地位を別の方に引き継ぎ、町を出ることに決めた。威さまの地位ではなく、威さまそのひとに忠誠を誓っていた瑞矢さんと暁さんも、当然威さまについていくことになり、そうすると暁さんの恋人である七嶺さんもついていくことに決め、わたしも同じく、威さまについていくことに決めた。瑞矢さんに至っては威さまと最期までいるため、自ら吸血鬼になっていた。そういう、芋づる式に組まれたパーティだ。シンクちゃんに関しては、なんだかよく思い出せないけれど、気づいたら一緒だった。でもそれはシンクちゃんなので、そういうものなのだろう。かわいいのでさしたる問題ではない。
「仄羽」
 後ろから腰に腕を巻かれて、その手に手をのせる。威さまは吸血鬼になってから、昼夜問わず、人目も問わずにくっついてくる。いや、以前も人目は問わなかったけれど、始終体を寄せてくるようなところはなかった。わたしにはわからない立場の責任や重圧というものから解放されて、気持ちが楽になったのだろうか。気持ちが楽になった、という言い方は、おそらく威さまを刺激するので、口には出せない。
「護衛の依頼がある。人数はふたりを希望しているみたいだから、一緒に受けないか」
 すり、と頬を耳元に寄せられて、わたしは威さまを見たくとも視線が向けられない。威さまは、わたしが威さまの声によわいことを、きちんと把握してらっしゃるのだ。
 護衛。以前の威さまの立場であれば考えられないことだ。依頼内容を瑞矢さんに言えば、それなりに冒険者として経験を積んだ、つまり冒険者になってからそれなりの月日が経っているにも関わらず、少しいやそうな顔をするだろう。そんなことを威さまにさせるなんて、と。
「はい。威さまがよろしければ」
「うん」
 しかし当の本人はけろりとしている。もともと立場にあぐらをかくような方ではなかったし、吸血鬼になったいまのほうがずっと自由に、愉快にされている。もっとも、どこにいても、威さまの気品が失われることない。
 むしろ威さまが吸血鬼になってすぐのころ、大変なのはわたしたちのほうだった。依頼を受けているのに依頼人より威さまを優先して助けようとしてしまったり、報酬に見合わない宿をとろうとしてしまったり。違う、だめだとわかっていても、無意識に体が動いてしまうのだ。仕事に対して不誠実なことを威さまがきらうので、瑞矢さんと暁さんは割合すぐに意識を変えて順応していっていたけれど、わたしは手間取った。ちなみに、シンクちゃんは自由にしていた。
 頭に唇を落とされる。宿でどれだけ密着していても、もはや誰もつっこんではこない。視線さえほとんど向けられることがなくなった。宿に来たばかりのときはじろじろと見られていたし、わたしも注目を集めていることに羞恥して形ばかりの拒否をしていたけれど、すっかり慣れた。よくない。もっと、こう、なんというか、自我をきちんと持って、とは思うものの、威さまの腕力には勝てないし、拒否をすればするほど揶揄が激しくなることを知っている。結局、すきにしてもらうのがいちばんよいのだ。わたしも正直なところ、威さまに触れてもらえるのは、うれしい。
 けれど、威さま目当てに宿にやってきたひとたちに見られるのは、さすがにちょっと恥ずかしい。威さまは、いや、うちのパーティはとにかくわたし以外の方たちの見目が麗しく、そのなかでも特に威さまは街を歩いているだけでも目立つ。もしも依頼先などで威さまが誰か複数に見初められて取りあいになり戦争が起きても、たぶん驚かない。そして威さまがその状況をおもしろがって国を一つや二つつぶしたとしても、驚かない。
 わたしなんかでいいんだろうか、は禁句だ。だめならそもそも威さまがわたしを受け入れるはずがない。気持ちを試すような言葉を、彼はきらう。
「あの、威さま」
 依頼内容をもう少し確認しておこう。そう思って口を開いたけれど、威さまの青い左目とばちりと視線が合った瞬間、なぜだかわたしの脳裏には威さまが吸血鬼になった夜のことが思い出された。
 吸血鬼。
 吸血鬼にはいろいろな弱点があるとされる。鏡に映らない、日光に当たれば死ぬ、豆等が散らばっているのを見れば数えてしまう習性、川は渡れない、招かれないと入れない、十字架、にんにく、炎、銀の弾丸、杭、丸太。
 伝承には誤りがあるのか、吸血鬼の個人差なのか、威さまにはその吸血鬼の弱点らしい弱点はなさそうだった。日光に当たっても死なないし、豆が散らばっていても数えたりしないし、川は渡れるし、招かれずとも入れるし、十字架は平気そうで、にんにく料理も食べる。炎、銀の弾丸、杭、丸太に関しては試したことはないけれど、人間も死ぬので弱点というにはよわい気もする。
 当てはまったのは鏡に映らないことだけだった。とはいえ、その美貌とは裏腹に、威さまご本人は身だしなみを整えつつも見目にはあまり頓着がないようだったから、不便はなさそうにしている。服を整えたり髪を整えたりするのも、もともとわたしの役目だ。生活自体に変わりはない。
 でも、困ったのは夜だった。威さまは嬉々として姿見を持ってきて、つまり、その、言葉にはできない恥ずかしいことをされた。あまりにも恥ずかしくて誰にも言えず、あまりにも恥ずかしくて誰かに言ってしまいたい、おそらく一生忘れることのできないだろう夜になった。いまではだいぶ慣れたけれど、いや、やはり恥ずかしいという感情の発散のために言葉にするのは憚られる。自分の感情は自分で処理するものだと、かつて威さまに言われた。こんな意味ではなかったはずだけど。
 唐突に、自分でもわかるくらい耳まで赤くしたわたしを見て、威さまは不思議そうに、それでいておかしそうに顔を覗いてきた。反対側の頬を指でさすられ、逃げ場のないわたしは威さまから視線を逸らす。それでも誰も助けてはくれなかった。すでに日常に組みこまれているのだ。
「なに?」
「いえ、あの」
 なんでもない、という言葉は出せなかった。吸血鬼は日に当たらないがゆえに色が白くて、すでに死した者ゆえに体温が低いというけれど、触れたところくらいはやんわりと温かくなる。
「ん」
 不意打ちだったので、音になりかけた声が口のなかで消化しきれず漏れた。みんな見て見ぬふりをしている。わたしだって人前でこんなこと、とは思うけれど、威さまが望まれて、威さまにされているのだから、やはりどんなに毅然として訴えたところで最終的にはすきにされてしまう。
「血がほしい」
 ぼそりと耳元でささやかれて、びくりと体が震えた。
 吸血には快楽が伴う。抗えないよろこびが体中を駆け巡って、意識を保とうとしてみるとそこにいるのは威さまで、結局身をゆだねてしまう。だからなのか、さすがの威さまも人前で吸血することは少ない。
「仄羽」
 柔らかに微笑まれると、詐欺だと思う。わたしの反応を見てたのしんでいるのだ。だけど、吸血鬼になって、冒険者になったいまの威さまのほうが、わたしは見ていてほっとする。たのしそうにしているお姿を見て、たのしくなる。
 そういうの、惚れた弱みっていうんだよ。
 と、いつだったかシンクちゃんに言われた。シンクちゃんはぬいぐるみなのに、それともぬいぐるみだから、というべきか、とにかく全員の感情を察するのがうまくて、鋭い。
 かすかに首を動かすと、威さまはわたしの頬をなでて、こめかみに唇を落とした。
「じゃあ、部屋に行こうか」
 腰に手を当てられて、わたしは素直に威さまに従った。